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第一回 
〜屋久島珍道中の巻〜


九州の南、種子島の隣に位置し、その自然が世界遺産に登録された屋久島は、僕が以前から一度は行ってみたいと思っていた場所でした。で、大いに乗り気でついてきた奴、半ば強引に連れてきた奴、色々ですが、芋兄、欣爺、TKとこの僕、仕事人の四人でこの春休みを利用して行ってきました。

集合が午後の6時に屋久島ということから、初日はレンタカーですぐさま民宿へ直行。屋久島には温泉があるとのことなので、夕食を済ませた後、尾之間温泉へ行くことに。外に出てみると、かつて教科書で見た北斗七星や、オリオン座といった有名どころの星がはっきりとわかるほどのきれいな星空が広がっている。しばらくの間空を見上げた後、尾之間温泉に向かって出発。電灯などが無く、真っ暗で、しかも曲がりくねった夜道をしばらく車で行き、途中いくらか迷いながらも何とか到着。建物自体はロッジみたいな風采の木造の建物で、内にも立派な梁が通っているのだが、内装はといえば、まぁ銭湯に毛が生えたようなものである。しかし、本当に驚くべきことは浴室に張られた注意書きである。浴槽自体はひとつしかないのだが、それはまぁよいとして、シャワーの横に張られた注意書きに書かれている言葉には、『シャワーの量には限りがありますので、髪を洗うときのみに使用してください。』とある。では、どうやって体を洗うのかといえば、浴槽の横の一辺に座り込み、風呂桶でお湯をすくい体を流すという方法をとるのである。別にそれ程大したことではないように感じられるのだが、これが実際に浴槽に浸かっている時に一列に並んでやられると、非常に気が悪い。なぜならばそこはもちろん男湯。風呂の中では当然裸。幾人もの男たちが目の前で裸で鎮座している姿を拝むことになるとは・・・。なかなかどうして恐るべき屋久島流、である。


二日目 の目的地は白谷雲水峡。ここは縄文杉の二番煎じ(?)ともいえるような名をもらった『弥生杉』などといった杉があったり、『もののけ姫の森』と銘打たれた一画が広がっていたりする、沢沿いの森である。とはいっても山道、不幸なことに体力に自信のない僕を含んだ4人組は明日の縄文杉登山のことを考え入り口のすぐそばにある弥生杉だけを見てとっとと撤収することにしていたのだが、入り口のおばちゃんは弥生杉を大したことないと言い切り、そして白谷雲水峡内の最奥にある『太鼓岩』こそが見るべきところであるとやたらと勧めてくるので、半ばノリで行くことに。すぐ帰る予定だったために食料は持たない、ペットボトルすら持たないという、およそ山をなめきった軽装で挑んだ僕らはかなりのハイペースではあったのだが、いかんせん体力は有限、しかも貧弱、途中幾度も休憩を挟みながら何とか進んでいくといった感じである。

実際に屋久島の自然、すなわち原生林を満喫したのはこれが初めてに当たるわけだが、とにかく圧巻の一言である。びっしりと苔に覆われた岩が、斜面に数え切れないほど並んでいる様子はまるで緑色の渓流のようであるし、大きな岩に根を張り巡らせている樹木、幹が中空から始まっている木、切り株や倒木から新たな別の木が悠々と生えている有様、いかなる力が加わったのかまったく想像もつかないようなねじれをもった杉など、たかだか20年しか生きてきていないような者にはあまりに不自然に映る姿こそがここでは自然として存在しているのである。いや、70年生きたとしても、それを自然として捉えることはできないのかもしれない。20も70もちっぽけな差でしかない、そう感じさせるほどの存在が広がっているのである。

いくらかの名を持った杉を越え、さらに不自然さを増す、もののけ姫の森を通過し、道を違えること幾らか、疲労感がいよいよ大きくなってきたころ、ついに目的地であった太鼓岩に到着。この太鼓岩、山の一角に飛び出した、その名のとおり上面が平らになっている巨大な一枚岩である。その上に登ることで眼下に白谷雲水峡を一望の下に眺められるのだが、まさに絶景とはこうあるべきだとでもいわんばかりの景色が広がっていく。情けないほど単純な衝動であるが、単純だからこそ衝動なのだろう、両手を突き上げ、「うおおおおおおお」と叫びをあげる。一休みし、もう一度叫ぶ。

絶景と咆哮がテンションをあげたのだろうか、勢いは体力には何の相談もなしに、帰りのルートは行きよりもさらに遠回りなルートを通ることに。そこに見られた新たな木々は相変わらずすばらしい。ちょくちょく休憩を挟みながらも下山していく。入り口にかなり近づいたころ本来の目的であった弥生杉に到着。なるほど、一本の杉としては確かに雄大だが、どこか物足りないものがある。入り口でおばちゃんが言っていたことは間違いではなかった。一本の木がひとつの森をなす屋久島においては、一本の大木もそれでおしまい、なのである。

下山してかなり遅めの昼食をとっていると、疲れのせいか、欽爺が気分が悪いという。幸いすぐに持ち直したが、明日はさらにハードになる。大丈夫だろうか。


三日目。ついにメインイベントとも言うべき縄文杉登山である。意外にも筋肉痛は感じられず(もしかしたら、明日になってようやっと筋肉痛が来るのかもしれないが)、雨が降っていることをのぞけば状態的にはまずまずであろう。予定では今日は縄文杉付近の山小屋で一泊し、明日下山するということになっているので、通常の日帰りツアーの早朝4時出発とは違い、朝8時過ぎてから民宿を出発した。予約していたガイドと合流し、登山口への入り口である『荒川口』まで車で行く。相変わらず容赦なく見通しの悪いカーブが続いているが、もう慣れたものでメインドライバーたるTKは楽々と進んでいく。荒川口に到着し、寝袋、食事などを詰め込んだザックを担いでいよいよ出発。なんだかんだで9時半ごろである。もう、みんなとっくに出発してしまったのだろう、あたりに登山者は見受けられない。

荒川口からはなだらかな登り道であるトロッコ道が延々と続いていく。雨のせいもあって足場が悪いし、レインスーツを着ているのでしばらく歩いていると汗がにじんでくる。ガイドさんは60近くと思われる髭のおっちゃんなのだが、このおっちゃん、荒川口近くでちょっと先に行っててと言ったまま僕らと別れてしまった。とりあえず遮二無二歩いていたが、まったくおっちゃんの姿が見えないということに気がつき、しばらく待つのをかねて休憩を取る。いくらかしてようやっとおっちゃんが追いつく。「早いなぁ」と、おっちゃん。1000回以上縄文杉を見たという猛者であるというおっちゃんのこの台詞には、さすがに気が抜けた。おっちゃんはさらに、この雨のせいで、山小屋がいっぱいかもしれない。このペースでなら日帰りで行って帰ってこられるので、今いる休憩所(屋根つき)にほとんどの荷物を置いてぱーっと行って、ぱーっと帰って来たらどうだと提案してきた。もともと山小屋で一泊してみたいというのがあってこの計画を立てたため、おっちゃんの提案には幾らか釈然としないものがあったが、山小屋がいっぱいだとしたら雨の中で野宿ということになりかねないのでしぶしぶ了承。必要なだけの荷物をザックひとつにまとめ、荷物番のおっちゃんを残し出発。自ら残ることを志願とは・・・何のためのガイドぞ?

まだまだ延々とトロッコ道は続く。途中幾らか大きな杉や沢があるのだが、基本的には単調な道。11時ごろであったろうか、ついにトロッコ道が終わり本格的な登山道に入る。ここからは一気に急な上り坂になっていく。岩場であったり、雨でぬかるんだ泥道であったり、足場が悪い。足元に気をつけなければいけないのだが、ふとしたときにあたりを見渡すと、深とした中にすばらしい景色が広がっているのである。この景色に慣れてしまうとは、なんだか贅沢なようなもったいないような、複雑な気持ちがする。

急な坂と悪い足場のせいで、息は切れ、体中から汗が出るのだが、自然も粋なもので、疲れて苦しくなってきたあたりに名を持った木を配置していてくれるのである。特に圧巻なのは空洞となった内部に水が沸いている巨大な切り株であるウィルソン株や全身を苔に覆われ、なるほどその名に相応しい容貌を持った翁杉、縄文杉に次ぐ巨大さを誇る大王杉などであろう。ずっと見ていたくもなるのだが、急な山道ゆえにかいた汗やレインスーツにもしみだした雨のためにちょっとした休憩でも体が冷えてしまう。寒さを感じたころ、改めて気合を入れなおし出発。残雪がいたるところに見られ足場はますます悪くなっていく。それでも気を張り、疲れたながらも進んでいくと、ついにそれらしき舞台が見えた。縄文杉はその樹力の回復と維持のため、すぐ近くまでは近寄ることができなくなっており、展望用の舞台が設置されているのである。階段を登り、上を見上げると、そこに陣取る巨木こそ縄文杉である。その巨躯はあまりに圧倒的で、威風堂々、王者の中の王者たる風格である。一本の大木もそれでおしまい?まさか。凛としてそこにたたずむ姿には畏敬の念を催さずにはいられない。こちらとしては、ただ、アホ面下げて見上げるだけである。口は半開きで、声が自然に漏れてしまう。何の疑いもなしに純粋に仰げる存在など幾らかあろうか。寒さも忘れて、しばらくはただ見上げていよう。なんとはなしに、人間程度が4000年も生きている木に対して名前を与えるとは、与えられた木からしてみれば、それこそ子供のいたずら程度に感じられるものなのではないのかと、ふと思われた。そう考えてみると、大先輩の名前を考えるのにうんうん唸ったであろう人間の姿を思い浮かべるとなんだかおかしく感じてしまった。

近くの休憩所で遅いながらも昼食を済ます。寒さで体はがたがた震えている。ここでのんびりしていても、何かが好転するわけではない。「行くか」と自分に言い聞かせ、下山することにした。寒さと疲労のせいであろう。芋兄が体調不良を訴える。後に合流したガイドのおっちゃんはこの期に及んで荷物を置いていった休憩所で一泊したらどうだとか抜かしていたが、体調不良を理由として町まで帰る事にした。もちろんガイド料は割引。しかも、お土産にたんかん(みかんの仲間ですな)をどっさり持たせてくれた。さすが山の男。気持ちがいい。


四日目。やはり筋肉痛はあるが、芋兄の体調も問題なさそうであり、屋久島一周の旅へと出発。縄文杉以外にも、屋久島にはたくさんの見るべきところがある。

屋久島には名前を聞くだけで興味をそそられるようなものがいくらかあるのだが、モッチョム岳もそのひとつである。さすがに往復7時間のモッチョムだけの制覇はあきらめたが、そのふもとから千尋(せんぴろ)の滝を見る。遠くに臨むことができるだけなので、やはりなんだかいまいちである。滝はその間近で見てこそ、大瀑布たる威厳も感じられように。また、その近くで日本では二箇所しかない、海に直接注ぎ込む滝である、トローキの滝を見る。この滝、トローキと書いてはいるが、どうやらそれはトロ沖の滝のことらしい。遠くから見られただけなのでいまいち迫力のほどは伝わってはこなかった。

車に戻り、さらに進んでいくと大川(おおこ)の滝へと行く少し前で非常にきれいな海と湾と砂浜が見えた。大川の滝は水しぶきがかかるような、すぐ側まで行くことができる滝で、その大きさを十分に感じることができる。しかも水は非常にきれいで、もっと暖かければその滝つぼに飛び込んでみたいと思うほどであるのだが、滝を見た後、どうしてもそのきれいな湾に行ってみたいがために、ごつごつした岩場で、明らかに人が通るようなところではないにもかかわらず、滝から流れる沢を下って行き、非常に苦労してその砂浜に到着。いわゆるエメラルドグリーンの海と白い砂浜が広がっていて、非常に美しい。滝からの水が一時的にたまる池のようなところがあるのだが、ここもまたなんともいえない美しさである。本当にもっと暖かければ飛び込むのだが。天気もいいし、しばらくそこでのんびりと過ごす。まだまだ先は長いので、車に戻ることに。来るときには沢を下るなどという非常な苦労をしたのだが、実はこの砂浜に来るための道はきちんとあり、とんでもない無駄な労力であった。

魅力的な名前を持つものとして、忘れてはならないのがガジュマルである。屋久島が生息地の北限であり、志戸子(しどご)ガジュマル園なるものまであり、大量のガジュマルが生い茂っている。ガジュマルとは木の名前なのだが、別名移動する木とも呼ばれている。枝から気根と呼ばれる蔦のように頼りない根をするすると下ろし、気根が地面にたどり着くと今度はしっかりとした根を張り、まるで幹のようになるのである。もちろん、もともと幹のあった場所とは違った場所に幹(性格には根なのだが)ができる。こうして、少しずつ幹の位置を移動させていき、長い年月の後には、木自体が違った場所に移動してしまうというものなのである。つまりこのガジュマル、立派に成長すれば幾本もの梁を支える柱のような形を成すのであるが、その形ゆえ、男子永遠の夢(?)ツリーハウスを建てるにはもってこいなのである。とにかく僕はガジュマルが気に入ってしまった。物産センターで、ガジュマルの苗木を買おうかどうか本当に悩んだ。この後奄美に行く予定がなければきっと買っていただろう。惜しむらくは鉢植えとはいえかさばることである。


五日目。飛行機で鹿児島空港まで戻り、また飛行機で奄美大島へ。飛行機から降りるとすぐさまその空気の違いがわかる。Tシャツ一枚で十分なんじゃないかというほどの暖かさである。あたりにはソテツが生え、ハイビスカスも咲いている。南国のイメージそのままである。空港のすぐそばでレンタカーを借り、まずはアヤマル岬へ。きれいな蝶が飛んでいるし、風も気持ちいい。これで3月とは、なんて贅沢な島なのだろうか。

とりあえず名瀬を目指す。途中奄美物産センターにより、とっとと土産を飼ってしまうことにする。ここでも僕の心を悩ませたのが、2万5000円の大島紬の一品物の作務衣である。一品物という言葉に本当に悩んだ。1万円台ならきっと買っていただろう。惜しむらくはいくらか値段が張りすぎたことである。結局サービスで出たハイビスカスティーがおいしかったのでそれを買うことにした。まったく、小さい男だ。

名瀬市内に入るともういい時間になっていたので、とりあえず、予約していたホテルへ直行。このたび初めてのホテルだが、泊まったのはホテルのコテージ。ホテルというよりは旅館に近い内装なのだが、まぁ、どちらでもかまいやしない。荷物を置いた後、大浜海浜公園へと行く。とりあえず公園内にある水族館でグロテスクな色をしたえびや、触ってみようコーナーのナマコに親しんだ後、砂浜へと行く。日の入りが大変美しいことで有名なこの大浜海浜公園だが、残念ながら天気は曇り。しかしそれでも砂浜の白さと海の美しさだけでもうっとりとした時間をすごすには十分であった。空腹も感じられてきたためホテルの隣の飯屋へと行く。晩御飯には奄美の名物鶏飯を注文。一緒にハブのから揚げを注文したのだが、今はシーズンではないらしく、残念ながら食べられなかった。


六日目。今日は来るまで奄美大島の南端まで行く予定である。しかし、なんといっても見逃せないのが「ハブ対マングースショー」である。ホテルを後にし、奄美ハブセンターへと行く。しばらくパネルなどを見学し、ハブ博士と名乗る爺さんの口上を聞き、ハブの性行為に戦慄を覚えた後、いよいよ宿命の戦いの火蓋が切って落とされた。今回戦うハブとマングースは現在のところハブ2勝、マングース7勝らしく(マングースが勝ってもハブは大体死にはしないらしいが、ハブが勝った際にはマングースにはすぐさま血清を打ってやり、マングースを助けるらしい)、圧倒的にマングース優位。ハブにとっては如何にマングースに牙を封じられずに毒をかますか、マングースにとってはどうやってハブのあごに噛み付き牙を封じ続けるか、それが勝負の分かれ目である。凶悪極まりないハブと戦わせるなど、いくらなんでもかわいそうな気がするほど、マングースのしぐさは愛らしい。

しかし、彼らの間にあったガラスの板が取り除かれるとその考えは一変した。マングースはハブとの間にさえぎられるものがなくなった瞬間、恐るべき勢いで、電光石火、はっとするまもなくハブのあごに一瞬で噛み付く。虚をつかれたハブもそこは数々の修羅場を潜り抜けてきたつわものである、落ち着いて体を回転させ、マングースの牙からの脱出を図る。しかし、なんとか抜け出した瞬間、またもやマングースの鋭い牙がハブのあごに突き刺さる。ハブの頭部からは血が噴出すが、それでもマングースは決して攻撃の手を緩めない。さすがは歴戦の勇者たるマングースである、わずかな気の緩み、驕りが死をもたらすことを知りつくしている。何せハブの毒は一撃必殺、それを食らえば負けなのである。一瞬の隙をつき、その牙を立てるべく何とか回転戦法でマングースの攻撃をしのぐハブだが、次第に出血は激しさを増していく。そのとき、ハブ博士の爺さんが両者を離したのである。タイムアップ。勝敗の行方は判定に持ち越された。勝負の判定はマングースにえさを与えてみるとはっきりする。ハブの毒を食らったマングースは戦闘後にえさを与えられても口にしないのだという。マングースに肉が与えられる。周囲が息を呑んで勝敗の行方を見守る。・・・マングースは戦利品とでも言わんばかりに、意気揚々とその肉をほおばった。すなわちマングースの勝利なのである。

しかし、その試合を見た誰もがこう思ったであろう。マングースってやりすぎ、凶悪すぎだ、と。そしてまた、敗者たるハブの運命に涙を流さずにはいられなかったろう。もはや戦えなくなったハブは、ハブ革製品として、その闘技場の下の、みやげ物売り場で売られてしまうことになるのだ。嗚呼、無造作にぶら下げられている、幾本ものベルトたちよ。かつての兵も、おっさんの腰に巻かれては、どうして九泉の下に安穏たる生活を送ることができようか。

ハブとマングースの名勝負の興奮が冷めやまぬまま再び出発。次の目的地は奄美大島の最南端まで行き、大島海峡を眺めることである。ここからの眺めは非常にすばらしい。とにかく海の色が違うのである。海を見てるだけでここまで楽しめるのだ。さんご礁の偉大さがわかる。ちなみにここ、展望台に行くまでの道は藪になっているのだが、ハブが飛び出してきても、マングース師匠に教わった戦法をとればいいのだから何も怖いことはない、などと大言を吐いていた。今にして思えば馬鹿丸出しだ。

車で引き返し、マングローブパークのカヌーツアーに参加。マングローブの森の中を一人乗りカヌーをこいで進んでいくというものなのだが、水の流れに身を任せ、のんびりとすごすのもよし、誰かの船腹に突っ込んで、ぶちかますのもよし、はしゃぎすぎで2度ほどカヌーガイドのおっちゃんに注意を受けてしまうという有様である。情けないけれども、楽しいのだから仕方がない。

ここに来て屋久島に来る前から引いていた風邪がぶり返してきたのか、いくらか体調が悪くなってきた。体調を崩したほかのメンバーすべてにうつしたと思われる風邪だが、自分はまだ治ってなかったみたいである。だるくて仕方がないが、それでももう後はフェリーに乗って帰るだけである。旅行中最後の夕食を済まし、フェリー乗り場へ。フェリーが遅れたらしく、非常に長い時間待たされたが、夜10時すぎにようやっと乗り込んで鹿児島へと向かった。鹿児島に着いたのは翌朝10時ごろである。後は飛行機で帰るだけだ。

このまま鹿児島から沖縄へと向かうか?とかアホな事も考えたが、体調も優れないので今回は自粛した。空港で時間をつぶしたが、鹿児島では月曜日にジャンプが発売されないのだという事に気がついた程度で、ほかにはこれといった事もなく、ただボーっとすごしただけだった。なんだか気が張らないのは体調だけのせいではないだろう。超生活的な生活から普段の生活に引き戻されたため、いくらか時差ボケ気味だったのではないかと思われた。